基準の音は、なぜ440Hzなのか ― 「432Hzは自然の周波数」説を計算で確かめる
オーケストラの基準音は440ヘルツ。「本来は432ヘルツだ」とする説が繰り返し語られます。差は8ヘルツ。その8が音楽的にどれだけの開きなのかを計算し、432という数の出どころを確かめます。
この記事の要点
- 音の高さは「何ヘルツ離れているか」ではなく「何倍か」で決まります。440Hzと432Hzの差は、比にすると約32セント(半音の約3分の1)です。
- 同じ32セントが、低いA2では2Hz、高いA6では32Hzになります。ヘルツの差だけでは音域ごとに意味が変わります。
- 432は「ド=256Hz」から導かれた数とされますが、432になるのは古い音律のときだけで、今の調律では430.5Hzになります。
比率の正体:440対432、差は「8ヘルツ」ではない
オーケストラがチューニングに使う基準の音は、いわゆる「ラ」の音(A4)です。国際規格のISO 16は、この音を440ヘルツ(許容差±0.5ヘルツ)と定めています。1955年にISO推奨R16として取り上げられ、1975年に規格になりました。
一方で、「本来は432ヘルツが自然な高さだ」という説が、音楽の現場やインターネットで繰り返し語られています。差は8ヘルツ。数字としては、わずかに見えます。
ところが、この「8ヘルツ」という言い方そのものが、音の高さの測り方を外しています。人の耳にとって音の高さは、周波数の差ではなく比で決まるからです。
この比を音楽の物差しに直すと、約32という数字が出てきます。単位はセントです。
なぜ比で決まるのか ― セントという物差しの仕組み
1オクターブは、周波数がちょうど2倍になる関係です。A4が440ヘルツなら、A5は880ヘルツ、A3は220ヘルツ。足し算ではなく、かけ算で並んでいます。
そこで、1オクターブを1200等分した単位を使います。これがセントです。半音1つはその12分の1、つまり100セントになります。2つの周波数の開きは、次の式で求められます。
440と432を入れると、31.77セントになります。半音の約3分の1です。隣の鍵を押すほどではありませんが、音程として確実に存在する開きです。
対数を使うのは、比を足し引きできる数に変えるためです。2倍と2倍を重ねれば4倍。対数にすれば、1200と1200を足して2400セント、つまり2オクターブになります。かけ算が足し算に化ける物差しのほうが、音には向いています。
8ヘルツは、音域が変わると意味も変わる
同じ「432ヘルツの調律」を各オクターブのAに当てはめ、440との差を取ってみます。
| 音名 | A=440の調律 | A=432の調律 | ヘルツの差 | セントの差 |
|---|---|---|---|---|
| A2 | 110 Hz | 108 Hz | 2 Hz | 31.77 |
| A3 | 220 Hz | 216 Hz | 4 Hz | 31.77 |
| A4 | 440 Hz | 432 Hz | 8 Hz | 31.77 |
| A5 | 880 Hz | 864 Hz | 16 Hz | 31.77 |
| A6 | 1760 Hz | 1728 Hz | 32 Hz | 31.77 |
ヘルツの差は2から32へと16倍に広がります。それでも、耳に届くずれの大きさはどこでも同じです。「8ヘルツの違い」という表現は、A4という1つの音にしか当てはまりません。
では32セントは聞き分けられるのか。健康な成人918人を調べたSmithらの2017年の研究では、1キロヘルツの純音での弁別閾値は中央値14.50セントでした。音楽の訓練を受けた人(492人)は12.85セント、受けていない人(426人)は19.50セントです。32セントはその2倍前後です。楽器の音での閾値は条件で変わりますが、多くの人が気づける大きさだと考えられます。
432という数はどこから来たのか
432を支持する側は、この数が「ド(C4)を256ヘルツにする」という発想に由来すると説明します。256は2の8乗。オクターブごとに2倍になる音の世界では、すべてのドが2の累乗(128、64、32…)になり、計算がきれいに収まります。ドを256ヘルツにする案は、フランスの物理学者ジョゼフ・サヴールが1713年に提案したとされ、「学術ピッチ」と呼ばれます。ただし当時の演奏家には受け入れられず、標準にはなりませんでした。
ここからAを求めると、たしかに432が出てきます。古い音律(ピタゴラス音律)でドとラの比を27対16とすると、
問題は、今のピアノやオーケストラが使う音律が違うことです。現代の十二平均律では、ドとラの比は2の12分の9乗(約1.68179)です。ドを256ヘルツにすると、
432ではなく430.54ヘルツです。逆にAを432ヘルツにそろえると、ドは256.87ヘルツになり、きれいな2の累乗から外れます。「ドが256でラが432」は、現代の調律では同時に成り立ちません。ずれは約5.9セントです。
俗説・誤解チェック
まず倍音の話です。地球と電離層のあいだに生じる電磁波の共振(シューマン共振)の基本の周波数は、およそ7.83ヘルツとされます。仮にきりよく8ヘルツとして2倍を重ねると、16、32、64、128、256、512…と続きます。432は現れません。逆に432を2で割り続けると、216、108、54、27で止まります。基点は27ヘルツであって、8ヘルツではないのです。7.83ヘルツで計算すると6回の倍加で約501ヘルツになり、さらに遠ざかります。
次に「1939年に押し付けられた」という話です。年表が合いません。440ヘルツは1834年にヨハン・ハインリヒ・シャイブラーが提案し、同年ドイツの学会が支持したとされます。アメリカの音楽業界は1926年ごろには事実上440ヘルツを使い、米国規格協会は1936年に推奨したとされます。1939年5月のロンドン会議は、すでに広まっていた数字を各国で確認した場という性格が強いとみられます。
また、432を「歴史的に正統」とする語り方も単純にすぎます。イタリアの陸軍省は1884年にA=432ヘルツを定めましたが、翌1885年のウィーン音楽会議はフランスの「ディアパソン・ノルマル」=435ヘルツを採用し、ヨーロッパはそちらへ動きました。ヴェルディは1870年代にはA=435ヘルツを熱心に支持し、のちに歌手の負担が軽いという理由で432へわずかに傾いたとされます。432は、19世紀の綱引きのなかで一度採られ、すぐに退いた選択肢の1つです。
そもそも基準ピッチは一定ではありませんでした。古楽で使う「バロック・ピッチ」A=415ヘルツも、440ヘルツのちょうど半音下(440÷21/12=415.30)にそろえた現代の約束事です。「本来の高さ」が1つだけあったわけではありません。
黄金比研究所の見立て
440ヘルツは、音響学的に導かれた最適値ではありません。19世紀以降にピッチが上がり続けた流れのなかで、放送と録音の普及が「1つに決めないと困る」状況を生み、そこで合意された数字です。黄金比のような必然はありません。
では432のほうが自然なのか。そうとも言えません。432が持つ理屈は「ドを2の累乗にする」という計算上の都合であり、その理屈は十二平均律を採った時点で切れています。自然界の周波数との対応も、2倍を重ねる計算で確かめるかぎり成り立ちません。
この題材で面白いのは、440でも432でもなく、差の測り方のほうです。8ヘルツという数字は、A4以外では何も意味しません。比で測り直せば、2ヘルツも32ヘルツも同じ32セントです。
基準ピッチは比率ではなく基点です。基点そのものに最適はありません。最適があるのは、基点から先の音の並べ方です。
出典・参考資料
- ISO 16:1975 Acoustics — Standard tuning frequency (Standard musical pitch)International Organization for Standardization
- Ellen Lockhart「Tuning Sounds in Italy, 1750–1885」Nineteenth-Century Music Review 22/3 (2025) 344–360, doi:10.1017/S1479409824000375Cambridge University Press
- Smith et al.「Factors affecting pitch discrimination performance in a cohort of extensively phenotyped healthy volunteers」Scientific Reports 7:16480 (2017), doi:10.1038/s41598-017-16526-8Nature Portfolio
- Concert pitch(補助)Wikipedia
- A440 (pitch standard)(補助)Wikipedia
- Scientific pitch(補助)Wikipedia
- Schumann resonances(補助)Wikipedia