火星の衛星は、なぜ一方だけ落ちていくのか ― 境目は自転の24時間37分
2026年10月20日、探査機MMXがフォボスへ向けて打ち上げられました。火星には衛星が2つあり、一方は火星に落ちつつあり、もう一方は遠ざかっています。向きを決めているのは、公転周期を自転周期で割った値が1より小さいか大きいかです。
この記事の要点
- 衛星が落ちるか遠ざかるかは、公転周期を主星の自転周期で割った値が1より小さいか大きいかで決まります。
- 火星の境目は中心から20,428km。フォボスはその0.459倍、デイモスは1.148倍にいます。
- だから同じ火星の衛星でも、フォボスは落ち、デイモスは遠ざかります。1は最適値ではなく分水嶺です。
境目は、たった「1」という比
2026年10月20日午前4時41分、火星衛星探査機MMXがH3ロケット10号機で打ち上げられました。約1年かけて火星圏に到達し、衛星フォボスに2回着陸して10gの試料を採取、2031年に地球へ持ち帰る計画とされています。
火星には衛星が2つあります。内側のフォボスと、外側のデイモスです。同じ惑星を回っているのに、フォボスは近づきつつあり、デイモスは遠ざかる側にいます。向きを分けるのは、たった一つの比です。
国際天文学連合(IAU)の作業部会がまとめた基準値から、周期を計算し直してみます。自転の角速度は火星が1日あたり350.891982度、フォボスが1128.844759度、デイモスが285.161889度です。フォボスとデイモスは自転と公転が同期しているので、この値は公転の角速度でもあります。360度で割ると、周期はそれぞれ24時間37分22.7秒、7時間39分14秒、30時間17分55秒になります。
比を取ると、フォボスは0.3108、デイモスは1.2305。1をはさんで、きれいに両側に分かれています。
なぜ境目で向きが変わるのか
衛星は主星を引っぱり、わずかに細長く変形させます。これが潮汐のふくらみです。主星は固体で粘りがあるため、ふくらみの頂点は衛星の真下にすぐには来ず、遅れて追いかけます。この遅れが向きを決めます。
衛星の公転が主星の自転より速い場合(比が1より小さい)、衛星はふくらみを置き去りにして先へ進みます。ふくらみは後方に取り残され、衛星を後ろ向きに引きます。衛星は軌道の角運動量を失い、軌道は縮みます。失われた分は主星の自転へ移るので、主星は逆に少し速く回るようになります。
公転が自転より遅い場合(比が1より大きい)は、すべてが裏返ります。ふくらみが衛星より先を行き、衛星を前向きに引いて、軌道を広げます。代わりに主星の自転は遅くなります。
この変化は、自分を加速させる向きに働きます。軌道が縮めば公転周期は短くなり、比は1からさらに離れます。衛星が十分に軽ければ外側でも同じで、遠ざかるほど比は大きくなります。1は落ち着き先ではなく、留まれない分水嶺です。
火星の数字で確かめる
比が1になる軌道半径は、ケプラーの第3法則から直接出ます。周期を主星の自転周期に等しいと置くだけです。
火星の重力定数GMは、探査機の追跡データから作られた重力場モデルGMM-3の値で42828.373km³/s²です。自転周期を入れると、a=20,428kmと出ました。火星の赤道半径3396.19kmで割ると6.01倍です。同じ式に地球の値を入れると42,164kmになり、静止衛星の軌道半径として知られた数字と一致します。筋は確かめられました。
フォボスの軌道長半径は9,376kmとされます。周期から同じ式で逆算すると9,374kmで、0.03%以内に収まりました。デイモスは同じ方法で23,457kmです。
| 衛星 | 公転周期 | 自転周期との比 | 軌道半径(赤道半径の倍数) | 境目との比 | 向き |
|---|---|---|---|---|---|
| フォボス | 7時間39分 | 0.311 | 9,376km(2.76倍) | 0.459 | 落ちる |
| (境目) | 24時間37分 | 1.000 | 20,428km(6.01倍) | 1.000 | ― |
| デイモス | 30時間18分 | 1.231 | 23,457km(6.91倍) | 1.148 | 遠ざかる |
軌道半径の比は、周期の比を3分の2乗したものです。0.3108なら0.4589、1.2305なら1.1483で、表の値とそろいます。デイモスは境目のわずか15%外側にいるだけで、かろうじて遠ざかる側に立っています。
落ちていることは、IAUの基準値そのものに書き込まれています。フォボスの向きを表す式には、経過時間の2乗に比例する項が1つ足されており、1世紀の2乗あたり12.72度です。公転が少しずつ速くなっている、という意味です。そこから軌道の縮み方を逆算すると、年に約3.9cm。潮汐による軌道変化の式に火星のQ値を入れた別の筋道では年に約3.8cmで、二つの方法がほぼ同じ値を返しました。デイモスの式には、この2乗の項がありません。後退はまだ測られておらず、比が1より大きいことから導かれる向きです。
月や、ほかの惑星と並べてみる
地球の月は、軌道半径384,400kmで静止衛星軌道の9.1倍の位置にあります。境目のはるか外側なので、遠ざかる側です。その代わり地球の自転は遅くなっています。
では落ちる側の衛星は珍しいのでしょうか。同じ式で各惑星の境目を計算し、衛星の軌道半径と比べました。海王星の内側5つ、ナイアドからラリッサまではすべて境目の0.58〜0.88倍で落ちる側です。木星のメティスとアドラステアも0.80倍前後、天王星には内側の小衛星が10個以上あります。逆に土星には落ちる側が1つもなく、いちばん内側のパンが1.19倍でした。
落ちる側にいるのは、惑星にごく近い小さな衛星ばかりです。ただしこの見分け方には、順行であるという条件が付きます。海王星のトリトンは境目の4.2倍も外側ですが、公転の向きが自転と逆のため、潮汐はやはり軌道を縮める向きに働きます。
俗説・誤解チェック
比が1より小さいので軌道は縮み続けますが、表面に届く前に潮汐でばらばらになる可能性が高いとされます。BlackとMittalは2015年に、フォボスが2,000万〜4,000万年後に崩壊し、その破片が火星の環になると論じました。割れ目が多く空隙に富むため、潮汐の力に耐える強度がないという見方です。
どこで壊れるかは、まだ決まっていません。AgrusaとMichelは2026年の論文で、フォボスの強度を探査機が訪れた小天体の実測値に合わせると、火星半径の2倍より外側で壊れると見積もりました。今の2.76倍から3割ほど落ちた地点です。これまでの研究は強度を高く見すぎ、壊れる距離を内側に見積もっていた、という指摘です。内部が崩れる前に表面が剥ぎ取られる場合や、最期が衝突による侵食で決まる場合もあるとしています。
黄金比研究所の見立て
この回の数字は、二段構えになっています。境目が「比1」であること自体は、ケプラーの第3法則と潮汐の向きだけから出る計算の結論です。一方その境目が火星では20,428kmに来る、という部分は、測った重力定数と自転周期を入れた結果で、天体が変われば動きます。前者は動かず、後者は観測とともに更新されます。
そしてこの1は、黄金比のような「最適比」ではありません。最適比は、そこに置くと何かが最も良くなる値です。この1は逆で、そこに置いても留まれない値です。わずかに内側なら落ち、わずかに外側なら離れる。安定な最適値と不安定な分水嶺は、読み方を変える必要があります。
デイモスは境目の1.148倍。この0.148という余裕が、2つの衛星の運命を分けました。
出典・参考資料
- H3ロケット10号機による火星衛星探査機(MMX)の打上げ結果(2026年10月20日)宇宙航空研究開発機構(JAXA)
- 火星衛星探査計画(MMX)ミッション概要宇宙航空研究開発機構(JAXA)
- Report of the IAU Working Group on Cartographic Coordinates and Rotational Elements: 2015(火星・フォボス・デイモスの自転の基準値、火星赤道半径)Archinal ほか, Celestial Mechanics and Dynamical Astronomy 130, 22 (2018)
- 火星重力場モデル GMM-3 のデータラベル(火星のGM値)NASA 惑星データシステム(PDS)/Genova ほか 2016
- Tidal Constraints on the Martian Interior(フォボスの軌道長半径、火星のQ値、同期軌道より内側での制動)Pou ほか, Journal of Geophysical Research: Planets 127 (2022), doi:10.1029/2022JE007291
- Tidal disruptions of rubble piles: The case of PhobosAgrusa & Michel, arXiv:2602.21912 (2026), doi:10.1051/0004-6361/202557988
- Mars to lose its largest moon, but gain a ring(Black & Mittal, Nature Geoscience 2015 の発表)University of California, Berkeley
- Martian moons exploration MMX: sample return mission to Phobos elucidating formation processes of habitable planets(表1:フォボス・デイモスの諸元)Kuramoto ほか, Earth, Planets and Space 74, 12 (2022)